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君に会いに行くよ [海猫宿舎] ユンク & リリン





 優しく名前を呼ばれ、段々に意識が浮き上がってきます。ゆすぶられ、心地好い振動に目を開くと、ユンクの心配そうな顔が目に入りました。

「おはよう、リリン」

 ユンクの手が近付いて来て、額にかかる髪を指で分けると、掌で覆いました。

「良かった熱はないみたいだね。」

 リリンはいまだ眠りの世界から抜け出せず、茫然としたままでした。それでも何とか「おはよう」と返事をしようとしたのですが、掠れて声になりません。引き絞るように咽喉が狭まり、息が吸えなくなりました。途端に咳が止め処なく続きました。瞬間、呼吸が止まって眩暈がします。しばらくして咳が止むと、強引に空気が押し出された所為で否応なしに肺へと空気が入り込んできます。キリキリと痛む胸を押さえようとすると手が上がりません。ユンクの腕の中に抱き竦められていたのです。そっと背を擦る掌に安堵し体の強張りが解けると、ユンクの黒い睛がリリンを覗き込みます。白目の部分が青味がかっていて綺麗でした。リリンが何だか気恥ずかしくて目を逸らすと、ちょうど向かい側に立っていたアッピとイッパがこちらの方を見ています。リリンは慌てて体を離しました。

「シロップを飲んでおく、」

 ユンクが細々と世話を焼く姿を双子たちは肱を突きあって笑っていたのですが、ふたりに背を向けていたユンクはリリンの頬の赤みを咳き込んだ所為だろうと思っているのでしょう。リリンは手渡された甘いシロップの飲み干すと、少し恨みがましい目をしながらユンクにお礼を言いました。咽喉を通り過ぎたシロップは、甘みが薄れ舌に苦味を残して消えて行きました。





 昨夜、リリンは蝶番の軋む音に目を覚ましました。暗い部屋の中、睛を凝らして見るとユンクの寝台だけが空でした。手洗いに立ったのかと思いながらしばらく待っていたのですが、うつらうつらしてしまい、いつしか眠っていたようです。ユンクはリリンが起きているうちに帰っては来なかったようです。起きたらどうしようかと思っていましたが、余り眠れなかった所為か今朝は寝坊してしまいましたし、起き抜けに咳き込んだこともあって結局何も聞けずにいたのです。





 今日一番始めの授業は理科でした。隣の席から筆記帳にサラサラと鉛筆を走らせる音がします。鉱石の特徴を羅列していくユンクはいつもと同じで、変わった様子は有りません。リリンは几帳面に記されたユンクの筆記帳から、その端整な横顔へと視線を移しました。伏せ目がちな瞼から伸びる睫が意外に長く、思わず見入ってしまいます。艶やかな髪が額に流れて頬に影を落としていました。鉱石を持ち上げルーペで覗こうとしたユンクがリリンの方を見て

「もう見終わったの、交換しようか。」

 と声を掛けてきました。リリンはユンクを見ていましたから何も進んでおらず筆記帳には青い罫線だけが並んでいます。ユンクは自然な様子で、机を寄せて来て

「一緒にやろう。」

 と微笑みました。同じ年のユンクがこんな風に振舞うのを見ると、何だか面映ゆい気持ちになります。以前けんかをしていた頃なら気に障っていた所でしたが、今では素直に自分のともだちのさり気ない心使いを、誇らしく思えるのです。



 リリンとユンクだけでなく教室の中も随分変わりました。机の合間を歩くパスカル先生にネリが質問する声、それに答えるパスカル先生の声、それにアッピとイッパの声も重なります。パスカル先生もすっかりヒバ先生やショウマさんの変わりを努めていましたし、ネリも口数は多く有りませんが、みんなとしゃべるようになりました。アッピとイッパは相変わらず騒がしいのですが……。



 近頃は随分と寒さが厳しくなってきました。つまり《海猫宿舎》を卒業する日が近付いているのです。せっかくユンクと仲良くなれたのに、別れねばならないのが残念でなりません。それに随分良くはなったものの、躰のことも心配でした。いえ、本当をいうと卒業してしまった後もユンクとともだちいられるのかが一番の悩みでした。《海猫宿舎》に入ってから「手紙を書くよ」と言ってくれたともだちのうち、何人かは手紙を送ってくれました。しかし次第に間隔が空き、連絡の途絶えた人もいたのです。ユンクともそうやって疎遠になってしまったら…そう思うと、リリンは今から寂しくてならないのです。



 突然ガタンと音がしました。ユンクが倒れて机にぶつかったようです。貧血を起こしたのでしょう、リリンが差し出した手を軽く握り立ち上がると、

「しばらく座っています。」

 と落ち着いて言いました。でも、さっき触れた手は指先が冷たく、脈も弱々しく感じました。顔も蒼白く血の気が引いています。平静で居られないリリンと違って、パスカル先生は心得たように頷いただけでした。昨夜もきっと燈台へ行ったのでしょう、先生は何か聞いているのかも知れません。リリンはただ見ているしか出来ない自分を歯痒く思いました。





 その日の晩、リリンがなかなか眠れないでいると、微かに苦しそうな声が聞こえてきました。ユンクが毛布の端を握り締めながら、体を丸めていたのです。頑なに耐えるユンクに、リリンは声を掛けられずにいました。息を潜めて見ていると、落ち着いたのか、ユンクが背を起こし寝台の上に座っていました。ストーブを焚いているとはいえ寒い中、ユンクは汗をかいていました。呼吸も少し荒いようです、吐く息も白く渦巻いて見えました。しばらく顔を両の掌で覆っていましたが、やがて立ち上がり、外套を羽織り、襟巻を巻きつけて部屋を出ていきました。リリンもみんなを起こさないよう静かに起き上がって、窓際へ寄ります。窓から庭を見ると雪に真新しい足跡が残っています。跡を辿って見ると、ユンクの後ろ姿が見えました。この先に続くのは燈台です。ユンクはやはりパスカル先生の所へ行ったのです。



 しばしの葛藤のあと、リリンはどうしても我慢出来なくなって部屋を出ました。燈台に着き窓から中を覗くと、パスカル先生の膝の上で眠るユンクが見えました。何だか無性にくやしい気分でした。先生に勝とうなどと思うわけでは有りませんが、膝を貸す役が自分でないのが嫌だったのです。妙な疎外感を抱えていると、窓の向こうのパスカル先生がリリンに気付き手振りで中に入るよう言いました。扉はきっちり閉められていましたが、鍵は開いたままだったのです。扉の隙間からそっと中へ入ったリリンに

「いまようやく眠ったばかりなんだ。」

 パスカル先生は唇の前に人差し指を翳しながら小声で言いました。

「昨日も来てたでしょう、」

 椅子を勧められましたが、リリンは座る気になれず立ったまま話しました。

「ユンクの病気がどんな風だか知っているかい、」

「少しは。」

「そう、ぼくもたいして知っている訳ぢゃないのだけれど、近頃また急に背が伸びてきて、痛いんだよ。」

 リリンが気付いたのは昨日でしたが、知らかっただけ、最近はずっとこんな風だったようです。

「きみに知られたくないんだって。」

「どうして……、」

 リリンは自分の表情が歪むのを感じました。

「好きな人には良い所だけを見せたいからさ、見っとも無い所を見たって、きみは嫌ったりしないのにね。」

 リリンの心から嫉妬する気持ちは消え、嬉しい気持ちが溢れてきます。

「先生、ぼく帰ります。おやすみなさい。」

「あぁ、おやすみ」



「これはきみたちの問題だから、後はきみたちで解決するんだよ。」

 リリンが去った後、パスカル先生は揶揄うように言いました。

「気付いていたんですね……。」

 ユンクは途中で目が覚めていたのです。

「すぐには帰れないだろう、牛乳でも温めよう」

 有り難い申し出にもちろん賛成でした。





 次の日は、打って変わって、ユンクの方がリリンの方ばかり気にしていました。パスカル先生はユンクと睛が合うたび大丈夫だよ、と頷いていた程です。



 その日の夜、リリンは眠気を堪えて起きていました。やがて声が聞こえてきます。

「く…っ……」

 今日は思い切って話しかけるのだと、昨日決心していたのです。勇気を振り絞って、起き上がりユンクの寝台へ近付きました。リリンとユンクの睛が合います。眉間に皺を寄せ痛みに耐えながら、ユンクはそれでも声を出すまいと歯を食いしばっていました。

「ユンク、大丈夫、」

 リリンが声を掛けると、ひどくつらそうな声を出しました。

「リリ…ン。」

「どうしよう、先生を呼ぼうか、」

「ぼくは平気だから、リリン、きみが風邪をひいてしまうよ、寝台に戻って。」

 リリンは毛布取ってきて頭から被りました。

「ほら、これで大丈夫。」

 ユンクもつられて笑みが零れます。

「あっ…」

 ユンクが足首を掴んで背を丸めました。

「痛い、」

 リリンが毛布の上から足を擦っていると、ユンクも段々落ち着いてきたようです。

「格好悪い所見せちゃったな、」

 決まり悪そうに言いました。

「ぼくだって。きみはいつも助けてくれるのに、」

「黙っていてごめん。」

「あと少ししか一緒に居られないんだから、何でも言い合うようにしようよ。」

 リリンの拗ねたような言い分に頷きながらユンクは呆れたように言いました。

「でもさ、リリン。卒業しても会えるよ。」

 思ってもみなかった事を言われて、リリンは目を瞬かせました。

「本当に、」

 念を押して聞くと、ユンクは笑って答えます。

「もちろん。長期休暇に会いに行くよ、きみも来てくれるかい、」

「ぢゃあ、次の夏期休暇に会えるんだね。」

「うん。それまでは手紙を書こう。」





 陽射しの厳しい夏は昼間は外で遊べないでしょうが、夜に花火をして、星を見る約束をしました。何をしても、隣にユンクがいれば楽しいはずです。







『Stargazer』04/05/?? に収録

原作に合わせていつもと違う文体で
書いてみたのですがどうでしょうか?
ユンクのヘタレっぽい所が好きです。





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