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縞石灰の採石場は、凍り付きそうに寒い。指先の感覚が無くなって硝子みたいだった。息を吹きかけても、吐き出すそばから結晶になってしまうからちっとも暖まらない。こんなに冷えるのに喉が渇いているのは此処まで急いでやってきた所為だろうか、胸の鼓動が騒がしい。
鉱泉の在る処までは走ればすぐに着いてしまう距離だったけれど、銅貨はゆっくりと歩きたい気分だった。水蓮も何も言わず淡碧く光る雪の上を並んで歩いて行く。銅貨は滑らないよう雪の上を一歩ずつ慎重に踏み締める。前へ進むたびにキュッ、キュッと音が鳴って楽しい。隣を見ると水蓮が口元に指を当て声も出さずに笑っている。
「何だよ、」
「……。」
何も応えない水蓮の前に回りこもうとした銅貨は見事に足を滑らせる。それを見た水蓮は堪え切れなくなって、真白な息を吐き出して笑った。機嫌を悪くした銅貨は水蓮が手を差し出してもそっぽを向いて知らぬ振りを決め込む。
「わ、冷たい。」
すると、膨らませていた頬を冷えた指で突付かれた。銅貨が身を竦めた隙に、水蓮は腕を掴んで引き上げると
「銅貨がピカスみたいに歩くから、」
抱きしめて小さく呟いた。
「水蓮……」
顔が見えないと不安になる。銅貨は水蓮の背に腕を回して抱き付いた。
「雨の日は建物の廊下で散歩させようとしても嫌がるんだけど、雪の降る日は外に出たいって僕の言うことなんか全然聞かないんだ。あんまり急いで駆け出すものだから足が雪に埋まってしまって、耳の先から尻尾の先まで雪まみれ。それでようやく急いではいけないって気付くんだ。毎年冬になると同じこと繰り返して……」
時折小さく相鎚を打つ銅貨の黒っぽい褐色の髪を梳きながら、ピカスの真っ黒な毛並みを思い出しているのだろうか、
「何か似てるんだよな、」
そう言って笑う水蓮。
「ピカスと比べないでよ、付き合いの長さでは勝てないもの。」
笑って欲しくておどけて言ったのに、
「付き合いの長さ以外なら銅貨も負けてないよ。」
と、真面目に返された。その上、腕を緩めて見つめてくる。恥ずかしくなった銅貨は耐えられなくなって慌てて俯いた。顔に血が昇ってきて熱くなる。きっと真っ赤だ。
「銅貨、」
揶揄うように覗き込まれて顔を隠しきれなくなる。さっきの仕返しに水蓮の頬に冷えた指を押し付けると、指先を温かな滴が伝ってきた。
水温は外気よりも高いものだけれど、泉の水はどうだろうか。そっと手を浸してみると、ぬるく感じる。水を掬うため、袖を捲って手首まで沈めると、痛いぐらいに冷たかった。そうやって銅貨が水を飲んでいる間、水蓮はほとんど音も立てずに黙々と顔を洗っていた。
「さぁ、帰ろうか、」
「うん。お腹が空いたよ。」
辺りはすっかり暗くなっていたけれど、紺藍の夜天から零れてくる月燈りを反射してぼんやりと明るかった。
ケーブルに乗り込む前に長靴の踵を地面に打ちつけて雪を払い落とす。巧くいかない銅貨を見て、
「手伝うよ。」
水蓮はまた転ばないように銅貨の手を取ると、靴底に付いた雪を自分の長靴のつま先で落としていく。いつもなら自分で出来るよ、と言う銅貨も黙ったままそれを見ていた。
ケーブルの僅かな振動が疲れた体に心地良い。高速軌道から中央駅に乗り換える頃には、銅貨はすっかり瞼が重くなっていて、
「着いたよ。」
水蓮に揺り起こされて気が付いた。
「今日は僕の家で犬の餌をたべよう、」
「何だよそれ。」
銅貨がこのまま家へ帰っても誰も居ない、いくら待っていても藍生は帰ってこないから。
「一人で……平気、」
「大丈夫。近頃の兄さんときたら、ほとんど家に帰ってこなかったんだからさ」
「本当に、」
「兄さんは父さんの側に居るのが一番良いんだ。僕と水蓮みたいなものさ」
「ありがとう。」
そう言って微笑んだ水蓮は本当に綺麗で、
「ねぇ、今日は僕をピカスだと思ってくれて良いよ、」
嬉しくなった銅貨が抱きつくと
「ぢゃあ僕は熊の縫いぐるみの変わりにならなきゃ。」
と、頬に口付けた。
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