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級友たちに別れを告げて昇降口を出ると、校門のところに長身の人影が見えた。下校途中の生徒たちは通りすがりにチラチラとその人を見ていく。何の気なしに見ると、学生服の布地の色が少し違って、まさかと思いながら小走りに駆け寄る。よく知った後ろ姿のその人が、長い足を持て余すように門柱へ凭れていた。
「氷川さん」
もしも自分を待っていたのぢゃなかったら、と思いながら思い切って声をかけてみる。
「早かったな、でもすぐ出て来てくれて良かった。まさか中にまで入れないし。」
さすがに氷川もライバル校の門前にいるのは気まずいらしい。話をしている間にも
「ほら、東和二高の……」
「QBの氷川だ、」
なんて噂する声が聴こえてきた。クスっと凛一が小さく笑うと、氷川も目を細めて笑った。騒ぎにならないうちにと、並んで駅の方へと歩き出したものの、ふたりとも黙ったままだ。でも沈黙は不快でなく。むしろ心地よい。
「今日は制服なんですね、」
どう声を掛けようか逡巡して、結局出てきたのは間抜けな問い。三学期に入ってからは、受験を控えた三年生が自由登校となったのを思い出し、氷川の学校もそうではないのかと思い訊いてみる。
「さっき学校に行って担任に報告して来たんだ。」
「え、……それぢゃあ、」
「あぁ。受かってた。」
「……合格、おめでとうございます。」
「うん。ありがとう。」
「教えに来てくれて嬉しいです。」
「電話しようかと思ったんだけど、早く伝えたかったから。」
面映そうに話す氷川は前を向いていたので、合格の報告を聞いた凛一が、一瞬寂しげに表情を曇らせたことには気が付かなかった。
「忙しくなりますね、」
凛一は、さっきまで仰ぎ見ていた氷川の顔から視線を反らして云った。
「え、」
「京都へ行く荷作りとか、色々。下宿の当てはあるんですか、千尋兄さんなら顔がきくから良い所を紹介して貰えますよ。」
「実はもう頼んであるんだ。いま空きが出ないかきいてもらってるところ。入学前だけど春休みのうちから部の練習に混ぜてもらえるから、下宿が決まり次第すぐにでも行くつもりで荷作りは進めてある。気が早いだろう、」
そう笑って凛一の顔を覗き込んだ氷川は、潤んだ睛を見て言葉を失くした。涙こそ流してはいなかったが、瞬きする度に濡れた睫がきらめいた。
氷川は少し先にT字路があるのを思い出し、凛一を促して、駅へと向かう生徒たちと逆に曲がった。少し歩いていくうちに喧騒は遠ざかり、静かな住宅地に入った。後ろから着いてくる凛一の気配を感じながら、しばらくそのままで歩いていると、学生服の背中が引きつって歩みを止めた氷川は、布地をキュッとひっぱる凛一を振り返った。氷川を伺うように見上げている。そんな些細なことでも、彼にしたら随分と勇気がいったに違いない。いくらでも触れていいのに。
「おまえは、どうしたい。溜め込んでないで、云いたいことがあったら、ちゃんと口に出してみろよ。」
凛一の背に、氷川の腕が回った。優しい抱擁に勇気づけられ口を開く。
「京都へ行っても、電話をかけてくれませんか、」
今のままでいい。多くは望まないから、この関係を絶ってしまわないでほしい。
「わかった。そんなにしょっちゅうは無理だろうけど電話する。」
「手出して、」
駅で別れ際、掌に落とされた金色の釦。一瞬微かに触れた指先にドキっとした。
「あげる。」
ただの釦だけれど、彼が毎日身に付けていたものだと思うと嬉しくなってしまう。
「ありがとうございます。」
「じゃあな」
氷川はぶっきらぼうに云って去っていった。
男子校の一領学園に通う凛一が、卒業式にまつわる慣習を知るわけもなく。氷川が女ともだちでなく凛一に第二ボタンをくれた意味に気付いたのは、それから随分とたってからだった。
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