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気配で唐津だと知れた。樺島は昨日の事を思い出して、後ろめたい気持ちになってしまい顔を合わせ辛かった。寝返りを打つように背を向け、敷布に顔を伏せて息を潜めた。
ほとんど足音もたてずに現れた唐津は、部屋に入っても立ち竦んだまま微動だにしなかった。
「樺島……、寝てるんだよな」
そう言って暫らくしてから鞄を床に下ろすと、樺島の顔を伺うように見詰めた。布団から僅かに覗く手首の、蒼く透けて見える血管が規則正しく脈打つのを認めて安堵の溜め息を漏らす。その確かな脈動を指先で触れて感じると、唐津は何だか急に泣きたくなった。少しはだけていた布団を掛け直すと、その上からそっと手を這わせる。切なくなる様なその仕草に、樺島は自分がもう永くはないことを唐津が気付いているのだと分かった。
盆を抱えて戻ってきた唐津を、今目が覚めたばかりという風に見ると
「樺島も飲む、」
慣れた手付きで茶の支度をしながら、陽気に笑った。
近頃ふたりきりでいると、不意に沈黙が訪れる。前は心地良かったはずの、その少しの間が今では気不味い。だから会話が途切れないように、樺島は何時も以上に饒舌になる。
「優が勧めたの、」
「なに、」
「昨日安堂くんが訪ねて来て呉れた。」
樺島が一心に唐津を見詰めても視線は決して交わらない。
「あぁ、ぼくに遠慮してひとりで来て良いものか迷ってるみたいだったから、」
急須を持つ手がふたつの湯呑みを行き来する。
「そう。」
俯いた樺島を唐津が一瞬チラと覗き見た。
「余計なお世話だった、」
翠色の茶が柔らかな湯気を立てて、少し心が落ち着いてくる。
「いいや、雨の日は特に気が滅入るから助かった。」
「それなら良かった。」
さり気無く背中を支えて来た唐津の頸へ、逃がさないよう腕を巻き付けた。
「優がひとりで来るの、久し振りだよね。」
唐津が自分を扱いかねているのは分かっていた。樺島も逆の立場だったら困ると思う。前より距離が縮まったけれど、薄い、でも頑丈な壁が立ちはだかっているように思う。
「嬉しいな、ふたりきりの方が良かったのかい。」
すんなりと伸びた指が背を辿る。あやすように撫でられるうち、樺島は自分の頬が濡れているのに気付いた。
「優、ゆたか、」
樺島と来たら平気で名前を呼んでくるのだから堪らない。安藤を名字で呼んでいるのを聞いて、安心と少しの優越感を抱いていたのに。
「安藤くんと居ると心が安らぐだろう、」
「鳩みたいに。」
腕の中の樺島が見上げてくる。心做しか潤んだ睛に、薄暗い部屋を照らす電球の明かりを映していた。
「うん。」
「鳩って見てくれの割に本当は強いんだよね。」
「安藤くんも、柔らかでいて芯は強いんだ。」
「気持ちに揺らぎがないから傍にいて心地良いのかな、」
樺島はそう言ったが、唐津にしてみれば、安藤の真直ぐな睛は全てを見透かされそうで怖かった。
「人間の心の内なんて大抵が見た目と違うものだろう。強がりを言ってるやつに限って案外脆かったりするんだ。」
「優みたいに、」
樺島がこどものように肩へ頭を預けてきたのが嬉しい。
「さぁね。」
長く起きていた所為で疲れただろう、と布団に寝かせてやる。
「眠るまで此処にいるから、もうお休み……至剛。」
名前を呼んだだけでそんな風に微笑うなんてずるい。ねぇ、ひとつだけお願いがあるんだ。弱音を吐く姿を見せるのは、どうかぼくだけにして欲しい。
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