[栗樹] 端 & 甲彦





「乙彦は、」

 遠路はるばるやって来た兄に向ける言葉としては、酷過ぎやしまいか。

「随分な歓迎振りだな、嬉しくって泪が出そうだよ。」

 鄙びた田舎の雰囲気を払拭するように、派手ではないが粋な襯衣を着こなしている。

「悪いけど年寄りは好みぢゃないんだ。」

 精一杯の強がりも通じなければ意味がない。

「それ好いね、」

 甲彦が襯衣を指で示して褒めると、一瞬相好を崩して、またすぐに頬を膨らませた。

「別に。」

 乙彦の前では一人前に兄貴風を吹かせているが、その実中身はこんなものなのだから笑ってしまう。

「せっかくめかし込んだのに肝心の見せたい相手が居ないと張り合いがないねぇ。」

 少し顔色の悪いのを誤魔化すようにわざと濃紺を選んだのだろう、甲彦にはそれがいじらしくて仕様がない。

「野暮だねえ、惚れた腫れたにゃ口は出さないで呉れよ。」

「秘すれば花ってヤツかい、」

 口だけは達者な弟が、急にしおらしくしていると調子が狂う。もう一度混ぜ返すと本気で臍を曲げられたので、止めた。

「分かってるンなら黙っとけよ、」

伯父から調子が悪いと聞いていたので、家に着くなり端を無理矢理座らせて、床を延べる。

「乙彦も居ないんだし、無理に痩せ我慢しなくても良いだろう、」

 そういって寝巻きを投げると、やはり体が辛いのだろう、渋々ではあったが大人しく着替えだした。





「乙彦は、如何してる。」

 さっきからずっと言い出せなかったのだろう、ようやく聞いてきた。

「元気だよ」

「そうぢゃなくって、」

「いつまでも子どもぢゃないんだから乙彦にも付き合いってもンがあるのさ。」

 ふたりの厄介な関係を思うと、迂闊に口を挟めない。

「乙彦のヤツおれのこと疑ってるんだぜ、端が変に見せ付けたりするからだ。」

「アイツが焼き餅なんか妬くもんか、」

 そう言いながらも口元は笑っている

「可愛い弟に嫌われちゃあ、敵わない。当て馬にするのも程々にしてくれよ」

「考えとく、」





 眠くはないのか横になっても起きているので、ずっと話していると、端がポツと零した。

「もう少し育ったら良い男になるだろうに、残念だな、」

 言外にその頃自分は居ないだろうから見れない、と匂わせる。

「見れるさ。頑張って直して来いよ。」

「ねぇ彦兄さん。頼みがあるんだけど、」

こう言えば甲彦が断れない性質なのは分かっているのだろう。

「少しだけ代わりをしてよ、」

甲彦は誰の、とは聞かなかった。ただギュっと抱き締めていてくれた。暖かな腕に安堵して、咽喉の奥の辺りがカァッと熱くなる。

「我慢してたら余計止まらなくなるぞ。ほら背を曲げたら息が吸えなくなるぢゃないか、」

顔を上げたら、自然と空気が肺に入ってくる。そうなると今度は息を吐かない訳にはいかなくて、何だか情けない嗚咽が漏れた。声を出すまいと端が口唇を噛み締めると、甲彦が背をさすった。

「彦兄さん。おれね、最近よく同じ夢を見るんだ。乙彦に呼ばれて、でも起き上がれ訳なくって、気持ちはもう布団から出ているつもりだったのに体は寝たまま。思うように動かない躰がもどかしくて、心だけ離れてしまえば良いって思った。そしたら大抵そこで目が覚める。父さんが蒼い顔して俺を起こすのさ。惚れた女に良く似た息子ぢゃ、いくら面倒でも放り出せやしない。不器用な、でも良い人なんだ。ちょっと乙彦に似てる。」

 端は照れくさそうに笑った。







『Dioptrie』03/10/26 に収録

正直にいうと最後の端の台詞が
大嫌いです。せまりくる夜行バス
の時間に追われながら無理矢理
話をまとめようとして失敗した
からなんです。これも良い思い出
と手直しもせずそのまま載せて
みました。本当ヘタで恥ずかしい





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