眠れぬ夜は君のせい [サマー・キャンプ] 辰 & 温





 夜更け、遠慮がちに扉を叩く小さな音がした。

「どうした、」

 把手を捻ると、パジャマ変わりのスウェットを着た温が立っている。もうとっくに寝たものだと思っていたのに。

「眠れないのか、」

 辰が聞くと、温はこくんと頸を縦に振った。

「……。」

 どうやって寝かしつけようかと考えながら、温を部屋の中へ迎え入れた。





 クローゼットを探った辰がセーターを頭にかぶせてきて、ふわり、匂いが拡がる。辰の腕の中にいるときの匂いだった。そういえばいつの間にか、ふたりの間がぎこちなくなって。それからずっと辰に触れていない。温が寄り添って行くと、それとなく躰が離れてしまったことを思い出す。何だか少し哀しかった。温がセーターに袖を通したのを見届けると、辰は物云わず部屋を出ていってしまった。

「一緒のベッドで眠りたかったのにな……」

 掠れた呟きは届かない。俯くとグレーのセーターが目に入る。辰の持ち物らしく色や形は素っ気無い。でも、さっきまで寒さと緊張とにかじかんでいた指先が、随分暖かくなっていた。戻れとは云われなかったし、少なくとも傍に居て良いのだと思う。静かな廊下に、辰の後を追いかける温の足音が響いた。





 鍋にミルクを注いで焜炉にかけていると、ぱたぱたと音がした。温の履いたスリッパだろう。続いて椅子に座る音がする。視線が背中に突き刺さるようだった。チラと振り返ると、慌てて目線を反らして俯いてしまう。どうして、の一言を云えず、ただ哀しそうにしているのが気にかかった。そういう風にしてしまったのは、育てた自分自身なのに。思いを振り切るように、ミルクをかき混ぜる手を早めた。

 温まったミルクを洋盃に注ぎ、コアントローをほんの少し垂らしてから洋盃を差し出すと、温は眼鏡の奥の睛を覗くような視線を寄越した。卓子の上に置くと、温の手がそうっと包みこむように覆う。湯気の上に顔を合わせてオレンジの香りをかいでいた。

「どうして…、」

 云いかけた言葉を飲み込んでしまう。問い返すと、話を逸らされる。

「どうしてミルクなの、オレンジの匂いならショコラの方が良いぢゃない。」

 顔と言葉が合っていない。見詰めると潤んだ睛があちらを向いた。涙を堪えている所為か、怒ったような顔をしてぶっきらぼうに云う。

「ショコラなんか飲んだら、余計眠れなくなるだろう、」

 いっそ全て明かしてしまおうかと誘惑に駆られたが、思い留まって温の云うことに話をあわせる。

「そう……」

 ぽんと頭に手を載せると、温は笑みを零した。ようやくミルクを飲むと、長い溜め息のように白い息を吐いた。





 瞼をすりだした温を連れて廊下を戻る。部屋の前で歩みの遅くなった背中に手を添えて促がすと、ようやく把手を捻った。辰がおやすみと云いながら背を向けると、

「辰の部屋が良い、」

 パジャマの裾が引きつった。ここしばらく避けていたのが堪えていたようで、離すまいと必死に布地を握り締めている。

「もう大きくなったんだから。ひとりで眠れるだろう、 」

 震える肩に手を置いて、辰が揶揄うと、

「いつも、まだ子どもだって揶揄うくせに。こんな時だけ……ずるいよ、」

 真白い歯が唇を噛んだ。そこから睛が離せなかった。指先で唇に触れ、 噛むのを止めさせると、辰の手の上から自分の手を重ねてくる。人の気も知らないで、無邪気に笑っていた。

「おれはまだ起きてるから、先に寝ておきなさい。」

 ずれてもいない眼鏡を直して、机に向かう。本当はやることなんて何もなかった。温に云った手前何かしなければ、と書棚からぶ厚い医学書を出して開く。パラパラめくって眺めても、中身は頭に入らず素通りしていくだけ。考えるのは温のことばかりだ。まだ子どもだけれど、同じベッドに眠るのを躊躇ってしまう程、もう随分と大きくなってしまったのだなと思う。辰の思いを伝えても、温は訳も分からないまま、頷くだろう。頭を撫でて、抱き締めてくれる人が欲しいのだ。でも、それだけぢゃ済まないことを温は知らない。今はこれ以上思いが育たないように、冷たく避けることしか出来ない。遊びならもっと上手く振る舞えるのに、不器用な自分に嫌気が差してくる。

 そんなことを考えているうちに、時間が過ぎていった。時計を見てそろそろかと振り返ると、寝台はきちんと半分空けてあった。苦笑しながら隣へ潜り込むと、安らかな寝息をたてていた温がすり寄ってきた。辰はしばらくの逡巡の後、眠っているから良いんだと自分自身に言い訳をする。温を腕の中に抱え込み、眠れない夜を覚悟した。







温が12〜13歳頃の話。年の差CPなので
こういうこともあったんぢゃない?とか
私が書くと辰がヘタレになる…そのうち
焦れた温が自分から押し倒しそうですね
誘い受とか良いな!そんな話も書きたい





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