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ボーン
ボーン
ボーン……
柱時計が十二、鐘を鳴らして正午を告げた。
待ち合わせの時間を過ぎても耳丸の声が聞こえて来ない。アリスは硝子扉を開き、露台へ降りた。蜜蜂の家の在る方へ睛を凝らしてみても犬を連れて歩く少年は見当たらない。
「どうしたのだろう……」
蜜蜂が約束の時間に遅れるなんて滅多に無い。彼の兄はそういう事には厳しかった。それに寝過ごすような事があっても、彼の愛犬の耳丸がそれを見過ごす訳がない。毎朝キチンと御主人を起こして、一人と一匹連れ立ってアリスの家までやって来る。二人が学校へ向かうのを見届けると来た道をまた戻って行くのだ。
今日は父と母が揃って出掛けていて、アリスしか居ない家の中は静まり返り、ちょっとした物音でさえ大きく響く。一人で居ることに慣れているアリスも何だか落ち着かなくなってしまった。ジッと待っているのはやめて迎えに行くことにしよう。行き違いになると困るなと思い、筆記帳を一枚千切ると蜜蜂へ手紙を書き、それを扉の隙間に挟んで家を後にした。
何の前触れも無くいきなり部屋の戸を開けて入って来た兄は珍しく取り乱した様子で
「いいか蜜蜂。落ち着いて聞けよ、」
まるで自分自身に言い聞かせる様に言った。
「うん。ねぇ何があったの、」
只ならぬ兄の雰囲気に蜜蜂は背筋を伸ばして椅子に座り直した。
「耳丸の様子が変なんだ。」
蹴り飛ばす様に椅子から立ち上がって見に行くと耳丸は苦しそうな息遣いで臥せって居た。
「兄さん、」
蜜蜂が振り返ると、兄は漸く落ち着きを取り戻して言った。
「取り敢えず病院へ連れて行かないとな。」
待合で座っていると、蜜蜂はすっかり約束の時間に遅れてしまったことに気付いた。
「大変だ、アリスに謝らなくちゃ……」
そこへ診察室から兄が戻って来た。
「どうだった、」
蜜蜂が訊ねると
「玉葱中毒。」
兄は眉根を寄せてそう言った。
「え、」
蜜蜂が真面目な顔をして何を言っているのだろう、と思っていると
「信じてないだろう、」
「本当なの、」
「サンドイッチの茹で卵に玉葱が入っていたんだ。」
蜜蜂の家へ着くと門が開いたままだった。中へ入って扉の把手を回してみると鍵はちゃんと掛かっている。軽く叩いて声を掛けてみたが返事は無い。
「あれ、誰も居ないのかな……」
蜜蜂はもう家を出たのだろうか、一応庭へ入って窓から中を覗いてみたがレェスの窓掛けが邪魔をしてよくみえなかった。
「どこへ行ってしまったんだろう。」
アリスは途方に暮れてどうしたら好いのか解からなくなってしまった。目の奥がジワリと熱くなって来る。
「きっともう家を出たんだよね、」
蜜蜂が大急ぎでアリスの家へ行くと、扉の隙間に紙が挟んである。
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蜜蜂へ
今からきみの家へ迎えに行くよ、もし今これを
見ていたら、このまま中へ入って待っていて。
アリス
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アリスが居ないと、あの不思議な夜を思い出す。
「また黒鶫になっているんぢゃないだろうな……」
「あ、蜜蜂ぢゃないか」
自分の家へと歩いていたアリスは蜜蜂がいきなり目の前に現れて驚いた。
「アリスごめんね……」
蜜蜂が抱き付いてくる。
「いったい何があったのさ、」
ようやく逢えて嬉しかったけれど、わざと拗ねてみせる。
「ねぇ玉葱中毒って知ってる、」
「何それ、」
アリスには何のことやらサッパリだ。
「それはまた後で詳しく話すよ。耳丸を病院に連れて行ってたんだ。」
「そう、」
今日の蜜蜂は変だな、とアリスは思ったが今は大人しく話を合わせておこう。
「どうしようか。」
「え、」
「どちらの家へ行く、」
「きみが側にいれば何処でも。」
「何言ってるの、」
蜜蜂に笑われたアリスは一人で過ごした時間を思い出して少し真剣な顔をして言った。
「もう何処にも行かないで。」
「それは僕の台詞さ。」
蜜蜂がギュッと抱き付いてきて苦しかったが、アリスは何だかとても幸せな気持ちになった。
結局蜜蜂の家へ行くと、蜜蜂の兄が耳丸を連れて戻っていた。その日の話題は勿論、気の毒な耳丸の事故の事だった。
犬に玉葱を食べさせてはいけません。くれぐれもご注意を……
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